縄関係資料室概要


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・沖縄の地理的状況および歴史的背景

 九州から台湾まで弧状に連なる琉球弧は、沖縄本島を中心に独自の文化を培ってきた。17世紀初頭の1609年、薩摩が琉球に侵入するまで、琉球王国が大交易時代といわれる貿易による繁栄の時代を築いた。中国を盟主とする進貢貿易で、中国の海禁政策(中国人の海外での貿易を禁止)で中国人に代わって、琉球は東南アジア各地で仲介貿易を主とする海外貿易の隆盛の時代であった。

 「歴代宝案」に収められた東南アジア関係の文書によると1425年シャムを中心として始まった貿易もバレンタン、ジャワ、マラッカ、スマトラ、パタニ、安南、スンダ等時代の変遷とともに、交易の相手も替わってきたが、1570年のシャムとの貿易が最後になるまで、150年間にわたり東南アジアとの貿易が行なわれた。以後はポルトガル人、イスパニア人の東南アジアの進出、日本商人の進出、海禁政策の緩んだ中国人の進出によって、琉球のアジアへの貿易は廃れていった。琉球はその後、中国および日本との仲介貿易だけになった。薩摩侵入後は実質的に琉球は薩摩の支配下に置かれたが、王国の体制は維持され、中国とは引き続き、明、清の両時代にまたがり、冊封体制を維持してきた。冊封体制と幕藩体制のもとで、貿易による物資の交流だけでなく、両国の影響を受けて、琉球独特の伝統文化が発展してきた。

 明治になって、日本政府により、琉球は薩摩の支配から切り離され、琉球処分といわれる一連の過程の中で、明治12年に廃藩置県で「沖縄県」になった。本土各県に遅れること8年である。日本の一県の「沖縄県」として、スタ−トすることになったが、国家政策のもとで皇民化による同化が進められていった。同時に中国への朝貢も断ちきられた。明治、大正にわたる沖縄の不況は本土への出稼ぎ、ハワイ、南米への海外移民につながっていった。

 昭和16年12月、太平洋戦争が勃発、昭和20年、本土防衛の名のもとに、日米による地上戦が沖縄で行なわれ、その結果、沖縄県民に多大な損害と戦没者の内、沖縄県民の半数以上が犠牲者となって、昭和20年7月に沖縄戦は終結した。昭和27年、サンフランシスコ講和条約が締結され、沖縄はアメリカの施政権下のもとに置かれ、昭和47年5月に本土復帰するまで米軍統治下で、人権と基地被害を受けながら苦難の道を辿ってきた。本土復帰後もこの小さな島に日本全体の75%の米軍施設の集中化、爆音や米軍戦闘機の墜落などによる基地の公害を受ける一方、米兵による様々な犯罪など基地による県民の被害はいまも尚続いている。(新城俊昭著「琉球・沖縄史」参照)

・琉球大学附属図書館の沖縄関係資料の整備

[郷土資料の入手の経過]

 戦前、沖縄県立図書館の伊波普猷(初代)、真境名安興(2代)、島袋全発(3代)歴代館長等の努力で、約3万点収集されたが、同館の資料を含めて多数の資料が、先の大戦で焼失した。また、教育機関についても、当時は高等教育機関もなく、大戦前に専門学校の設置運動が展開されたが、政府に要望する段階で、切迫した時局により実現するまでにいたらなかった。戦後は、住民の強い要望で大学設置運動が起こり、ハワイの「沖縄厚生救済会」が琉球復興の根源はまず「教育」からというスロ−ガンを掲げ、琉球大学創立案要項」を発表し、米軍に大学設置を訴えた。那覇市、尚家、地域住民の協力の他、米軍の支援等もあって、1950年5月に琉球大学は創立された。開学以来、地域に開かれた大学として、普及講座等地域一般住民にも教育の普及を図ってきた。図書館も地域に貢献する大学に理念に沿って、地域住民にも入館も認め、保証人があれば館外貸出等も行ない、広く門戸を開放してきた。沖縄関係資料も館是の一つとして網羅的な収集を行ない、資料の保存・活用を図ってきた。

 当初の1960年代後半までの収集は内外の公的機関(国会図書館、本土の大学、東大、京大、九州大等)の協力があって、その所蔵資料を複写依頼したり、研究家や、篤志家等所蔵の資料の購入などロックフェラ-財団やアジア財団等の援助を受けて入手することが出来て、資料の整備を図ってきた。その中には「沖縄学の父」といわれた伊波普猷の貴重なコレクションも含まれている。

 1970年代の本土復帰前後から、学内に教官で構成される「戦後資料収集委員会」を1971(昭和46)年4月に設置、琉球列島米国民政府資料の調査及び収集などを図り、本土復帰後に文部省より、ユ−スカ−資料経費として、特別援助を受けて、膨大な資料を複写で入手、その数量は約60万枚に及んだ。これを契機に沖縄研究に志向する教官等の協力を得て、沖縄研究資料の複写収集計画を策定、各種機関の協力を受けて、その所蔵資料を複写することが出来た。

 昭和52年から沖縄関係文献資料保存事業がほぼ毎年のように援助を受け、沖縄関係資料の整備が図られた。昭和57年3月に図書館運営委員会の中に「沖縄研究資料調査収集小委員会」を設置、各種専門教官で構成し、教官と図書館との連携で計画的な収集が行なわれ、現在は「沖縄研究資料収集専門委員会」の名称のもとに沖縄研究資料の大型収集計画を行なってきている。その間に目次・内容を含んだ冊子体目録の改訂増補版、増加版等の発行、沖縄パソコンによる検索ソフトの開発等利用方法に効果的な便宜が図られ、内外の研究者、大学院生などの沖縄研究に大きく寄与している。現在までに約35,000点が収集され、沖縄資料室に保存管理され、副本の一部は開架資料として一般図書同様の扱いで館外貸出も行なっている。

 所蔵している資料の中には「沖縄県指定有形文化財」として、『浦添家本伊勢物語』(島袋源七文庫)と『屋嘉比朝寄工工四』(伊波普猷文庫)の2点がある。
 前者の『浦添家本伊勢物語』は小島瓔禮氏によれば沖縄に伝来した古写本で連歌師肖柏の「伊勢物語」注釈書。注釈書「伊勢物語肖聞抄」文明12年(1480)本の一つ。連肖柏自筆本に近い。室町中期の書写。浦添御殿の旧蔵だが、沖縄に伝来した事情は不明である。沖縄の和文学受容の歴史を知る上で貴重な遺品である。
 後者の『屋嘉比朝寄工工四』はサンシン音楽中興の巨匠「屋嘉比朝寄」の117曲のサンシンの楽譜。聞覚に師事したが、当時サンシン音楽を記録する楽譜がなく、口伝えの伝授方法に頼るしかなかったが、中国(唐)の記譜法を参考にして独自の琉球音楽記譜法を創案『屋嘉比朝寄工工四』を集大成し、後世の琉球古典音楽継承の礎を築いた。(渡久地政一氏論文参照)

 その他、当館には全冊は揃っていないが、複製で琉球王府の外交記録文書『歴代宝案』がある。『歴代宝案』は3集262巻からなり、1427年から1867年までの大交易時代を含む440年余の中国を主とした、朝鮮、東南アジア諸国との往復文書で、漢文で書かれ、その作成には主に久米村人があたった。また、複製で入手した東京大学法学部所蔵の琉球王府時代の行政文書「琉球評定所記録」、早稲田大学所蔵の「大隈文書」、糖業関係の沖縄県立図書館蔵「山下久四郎文庫」等、戦争関係では防衛庁戦史資料室所蔵資料などがある。

・沖縄資料室のコレクションの紹介

「沖縄学の父」といわれる伊波普猷の蔵書「伊波普猷文庫」、沖縄研究者の島袋源七氏の民俗学関係の「島袋源七文庫」、おもろさうしの研究で伊波についで大きな業績を残した仲原善忠氏の「仲原善忠文庫」、明治の末期に沖縄に来島し、大正時代を通じて、沖縄で布教活動をおこなった米国の宣教師「E.R. Bull師の「Bull文庫」、琉球王府時代、近世八重山の行政・文化資料で、インタネット上でも画像提供している八重山の旧家、宮良家の古文書「宮良殿内文庫」、元琉球大学教授宮里政玄氏の米軍統治下の沖縄関係資料「宮里政玄文庫」、沖縄・八重山研究者として知られるGeorge H. Kerr氏の「Kerr(カー)文庫」、元東大総長の矢内原忠雄氏の南洋群島に関する資料「矢内原忠雄文庫」、明治12年、初代沖縄県令鍋島直彬の書記官で原忠順の琉球処分関係書簡等の「原忠順文庫」、沖縄方言研究特に今帰仁方言辞典の著書で知られる仲宗根政善氏の「仲宗根政善言語資料」等がある。

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