〈研究室動向〉

 琉球大学法文学部考古学研究室の歩み

 琉球大学において、考古学を専門的に学ぶカリキュラムが設置されたのは、1994年の法文学部組織改革による人文学科の改設時です。それ以前には、人文学科の母体の一つとなった史学科史学専攻において、考古学を専門分野とする教官である池田榮史が助教授に任用された1989(平成元)年度から、日琉史ゼミの一つとして、卒業論文を含む考古学的指導を行っていました。先の学部改革にともなって、人文学科地域・社会科学コースに考古学サブコースが設置されるとともに、1996(平成8)年度からは後藤雅彦が講師として任用され、本格的な考古学の指導が始まることとなります。その後、1997(平成9)年4月には、教養部の発展的解消に伴う法文学部再改組によって、人文学科が国際言語学科と人間科学科に分離した結果、考古学は社会人類学や民俗学、地理学とともに、人間科学科地理・人類学専攻を構成し、今日を迎えています。
 池田任用以前においては、1979年に亡くなった故 友寄英一郎先生が西洋史とともに、考古学関係講義を提供されていますが、先生の没後は非常勤講師などによって、一般教養科目の考古学などが、わずかに提供される程度となっていました。
 なお、この法文学部史学科史学専攻は、沖縄の施政権が日本政府に返還される1972(昭和47)年5月15日に先だって、同年4月に発足しました。この史学科につながる流れを琉球大学の歩みから簡単に振り返ってみると、その設立は1952(昭和27)年に遡るようです。この年の4月、当時の琉球政府により琉球教育法が施行され、琉球大学は8学部14学科の編成となりますが、その中の社会科学部に史学及地理学科が設置されています。琉球大学の設立は1950(昭和25)年のことで、この際にも史学に関する授業が行われたものと推測されますが、この頃の学科構成などについての詳細は未だ調べていません。
 1954(昭和29)年には琉球大学が3学部19学科に再編され、史学及地理学科は文理学部に属しました。1958(昭和33)年には文理学部の学科再編成が行われ、史学科と地理学科はそれぞれ別の学科として扱われます。そして、1967(昭和42)年、文理学部が法文学部と理工学部に分離し、史学科と地理学科は法文学部に独立した学科として編入されますが、1972(昭和47)年の日本への沖縄施政権返還に伴って、再び同一学科に統合され、法文学部史学科における史学専攻および地理学専攻となりました。
 このような簡単な大学の歩みからだけでは浮かび上がってきませんが、1950年の琉球大学開学以来、史学科およびこれに関連する学科の中で、考古学に関する授業の提供や、これに係わった教官、ならびに多くの卒業生の方々の活動があることは、本集録に特別寄稿いただいた嵩元政秀先生の文中にも見える通りです。琉球大学における考古学研究室の設置は、こうした先行する方々の努力の賜物であることを胆に銘じつつ、その足跡を汚さないよう、今後も研鑽を重ねて行きたいと思います。
 なお、本創刊号では、活動の手始めとして、池田任用以後、考古学に関する題目で提出された卒業論文の題目一覧を掲載することとしました。それ以前の卒業論文の題目や、調査・研究などの動きについては、後日、学史的な整理を含めて、検証してみたいと思います。どうか多くの方々の御協力・御教示をお願い申し上げます。(文責 池田)

卒業論文

卒業年月 氏名  題目
1991年3月 大坪 剛 弥生時代鉄器の研究 −特に北部九州福岡県下を中心として−
1991年3月 須原 緑 大分県出土の輸入陶磁器について
1992年3月 石木 秀啓 後期群集墳にみる立地間の格差について −北部九州を中心にして−
1992年3月 岩尾 和佳 北部九州における古墳時代黄色ガラス玉の研究
1992年3月 金田 一精 阿高式系土器の底部圧痕について −いわゆる鯨底を中心に−
1992年3月 松林 豊樹 宮崎県の古墳時代における南方古墳群の位置づけについて
1992年3月 山里 昌次 フェンサ下層式土器について
1993年3月 尾方 農一 延岡古墳群の復元と歴史的位置付け
1993年3月 島袋 紀子 沖縄近世窯業考 −石垣市黒石川窯跡出土遺物の検討−
1993年3月 富川 盛史 グスク出土の輸入陶磁器
1993年3月 宮城 伸一 グスク土器についての一考察 −フェンサ上層式土器の再検討−
1993年10月 玉井 敬信 水中考古学と沖縄における水中埋没遺跡・遺物の発見に関する一考察
1994年3月 鶴元 寿充 南島弥生文化考 −沖縄諸島における弥生文化の評価をめぐって−
1994年3月 當間 麻子 近世琉球における陶業史の研究 −主に湧田窯一括出土遺物を中心に−
1994年3月 宮城 由江 沖縄貝塚時代後期土器文化の様相
1995年3月 出合 宏光 熊本県南部窯業遺跡の研究 −特に下り山窯跡群を中心として−
1995年3月 進村 真之 上田町A一号窯跡におけるヘラ記号と製作者の関係
1995年3月 西園 勝彦 成川式土器の一考察
1995年3月 宮城 康二 沖縄貝塚時代後期の土器製作技法について
1996年3月 井上 正隆 小迫辻原遺跡二号環濠出土土器の特徴 −特に甕形土器を中心に−
1996年3月 金城 健太 沖縄県内出土銭貨の様相
1996年3月 田尻 義了 弥生時代青銅器鋳造技術の研究 −北部九州における鋳型石材の分析を中心として−
1997年3月 稲嶺 真紀江 沖縄出土の無文銭について
1997年3月 神田 涼 南海産貝輪製作工程の復元 −南海出土のゴウホラからみた貝輪交易−
1997年3月 城間 宣子 考古学的視点から見た厨子甕の基礎的研究 −分類と制作年代設定−
1997年3月 柳田 晴子 延岡城内堀出土の陶磁器 −主に伊万里焼を中心に−
1998年3月 安仁屋 恵 中・近世における琉球の擂鉢について
1998年3月 大城 理咲 縄文時代相当期における土器の大きさ
1998年3月 金城 匠子 グスク(系)土器の研究 −出現の契機と消長−
1998年3月 熊沢 浩一 沖縄貝塚時代の漁撈活動に関する一考察
1998年3月 武井 しのぶ 厨子甕に関する一考察 −その装飾が語るもの−
1998年3月 徳元 エリサ カヤウチバンタ式土器小考
1998年3月 比嘉 清和 沖縄の石鏃に関する一考察 −宜野湾市真志喜大川原遺跡出土資料を中心として−
1998年3月 南崎 憲一 戦跡考古学研究に対する一考察 −沖縄陸軍病院壕について−
1999年3月 田中 梨穂 種子島広田遺跡の埋葬に関する一考察 −南九州弥生・古墳時代墳墓との比較試論−
1999年3月 古島 久子 南島におけるヤコウガイ利用に関する一考察 −奄美大島名瀬市小湊フワガネク遺跡出土資料の検討−
1999年10月 福地 幸子 具志原貝塚第1次発掘調査出土土器の再検討

  

修士論文

修了年月 氏名 題目
1999年10月 中池佐和子 沖縄本島出土の貿易陶磁器の編年研究−青磁・白磁を中心に−

 
『琉球大学考古学研究集録』の投稿規程    
 『琉球大学考古学研究集録』の刊行にあたって、投稿規程を以下のように設けますが、今後、皆様のご希望・ご意見を活かしながら、本誌の充実を図っていきたいと思います。

  1. 投稿の有資格者は、琉球大学卒業生及び関係者、さらに本誌の趣旨に賛同する方全てとします。
  2. 原稿の種類は以下のようにします。
    論文(見開き2枚以上)、研究ノート(見開き2枚以上)、資料紹介、研究動向、書評など
  3. 投稿原稿は、編集担当者の判断において、掲載を決定します。
  4. 採否にかかわらず、原則として投稿原稿の返却は行いません。
  5. ワープロなどご使用の方は、フロッピィー(テキストファイル)もご提出ください。
  6. 図版などは完全原稿とし、仕上がりが縦20cm、横14cmに収まるようにしてください。
  7. 原稿の締切りは、毎年8月末日とします。
  8. 問い合わせ先 
     〒903−0123 沖縄県西原町字千原1番地  
     琉球大学法文学部 考古学研究室
     池田榮史・後藤雅彦
     :098−895−8270(池田 Fax 兼用)、8276(後藤)

編集後記
 ここに、『琉球大学考古学研究集録』創刊号を刊行するにあたって、ご支援、ご協力いただいた皆様に感謝申し上げます。
 嵩元先生には、草創期の琉球大学における考古学研究を振り返っていただきました。多和田先生、そして琉球大学地歴クラブの皆様のご活躍を目のあたりにすることができ、このような研究史を振る返る事の大切さを痛感いたしました。
 神田、古島、金城各氏の論考は、各々卒業論文の要旨をまとめたもので、彼らが各々の目的に応じて、資料を集め、分析検討した道程をご理解いただければ幸いです。また、彼らが卒業論文をまとめるにあたって、多くの皆様に支えていただきました。改めて、感謝申し上げます。今後、各自がこの卒業論文を叩き台にして、研究を深めることを期待します。
 山里氏には、現在調査に携わっている大里グスクに関して報告していただきました。今後、全国で活躍されている卒業生の皆様に、近況を紹介、報告していただきたいと思います。 
 後藤は、香港考古学の近況を報告しましたが、本誌では、日本、沖縄の周辺地域における考古学研究についても目配りしたいと考えております。
 本誌は創刊号という事もあり、不十分な点も多々あるかと存じますが、今後、本誌の充実を図りたいと思いますので、何卒、ご指導の程、よろしくお願い申し上げます。

(池田、後藤記)