〈研究論文・報告〉

グスク(系)土器の研究

金城匠子

はじめに
 近年、グスク時代に関する研究として、グスクなどの建造物や、輸入陶磁器の研究が進んでいる。特に、輸入陶磁器は圧倒的な出土量をほこる点と、他地域との比較研究が可能という点で研究が進んでいる。しかし、グスク時代に在地で使用されていたグスク(系)土器の研究は、安里氏が積極的に論を展開しているが、まだ研究者が少ないと思われる。そこで本稿では、グスク(系)土器の研究史をふまえて問題点を把握し、グスク(系)土器の実態把握を試みたい。

一、グスク(系)土器の研究史と問題点
 研究史は三時期に区分が可能だと考える。「発掘例が僅少であったが、グスクから出土する土器が注意され始めた時期」をI期(註1)、次に「フェンサ上層式の設定が行なわれた時期」をII期(註2)、そしてIII期として「グスク(系)土器に「共伴」する遺物の年代から、開始期について12世紀説と10世紀説があげられた時期」とし、両論並立の中で現在に至る。このIII期には、グスク(系)土器自体の研究の深化を図る論文も出てきている(註3)
 かなりの年代幅になるグスク時代に「フェンサ上層式土器(グスク土器)」という一型式が設定され、発掘調査に伴う資料増加で、「フェンサ上層式土器」の概念におさまりきれないものが出てきた。グスク(系)土器の出現の契機として、移入品を模倣したことが一因として考えられている(註4)が、グスク(系)土器型式と器種分類の概念が確立していないと、その祖型の特定が困難である。明確な器種分類概念があってはじめて土器研究の進展はあり得る(註5)

第1図 グスク(系)土器出土遺跡

第2図 法量分布図

二、グスク(系)土器の器種分類
 ここでは、グスク(系)土器の器種分類概念を規定するために、土器の諸属性(法量(註6)・土器形態・器面調整等)の差異を見い出していく。器種把握のためには、復元資料からの情報をまとめ、この結果を踏まえて、有効と目される破片資料も考慮に入れていくことにする。
 復元資料より、器高×口径の関係をみると、明らかにまとまりのある分布が確認され、器高9センチメートル付近を境に「普通の大きさのもの」と、「小型のもの」の二つに分けることが可能だと考えられる。法量に加え土器形態および器面調整などを考慮すると、器種分類が可能となった。
 「普通の大きさのもの」には、頸部が屈曲するものと、頸部が屈曲しないものが確認される。頸部が屈曲するものは2つの器種が確認できた。一つは、主として外反して開く口をもち、両面とも比較的丁寧なナデ仕上げであることから貯蔵具と想定され「壷形」と考えられる。もう一つは、内面はナデ仕上げが多く、外面はヘラ削りが顕著に残る雑な仕上げであり、内面に炭化物の付着、外面に煤が付着し黒ずんでいるものもあることから、煮沸・煮炊具と想定され「甕形」と考えられる。頸部が屈曲しないものは、器面調整が「甕形」と近似し煮沸・煮炊具と想定され、形態的特徴から、無頸・内彎の「鉢形」と、上広がりの「鍋形」と設定したい。
 「小型のもの」は内面ナデ仕上げが主だが、外面はナデ、ヘラ削り、指頭圧痕が残り、底部からカーブを描いて外側へ開く形態から「碗形」と考えられる。また、特殊な形態である小型のグスク(系)土器を「ミニチュア土器」と一括して扱う。
 その他、皿形、香炉形など出土数が僅少のものがある。

三、各器種の分析
 壷形は口縁部形態と肩部の張り具合で分類が可能であった(第3図 1〜14)。口縁部形態はa外反、b外傾、c直口、d内傾の4つに細分され、肩部の張り具合は1肩部が強く張るもの、21ほど張らず胴部へと丸みを帯びて移行するもの、3なで肩の3つに細分された。器形全体としてみると、口縁部形態a類からd類へ移行するに従い、胴部の張りが弱くなってきている。
 甕形(第3図15〜24)の口縁部形態はa直口、b外傾、 cbよりもかなり外傾の3つに分類され、頸部屈曲部から胴部への移行具合は1直線的、2なだらかに移行、3丸みをもつの3つに分類された(註7)
 無頸・内弯の鉢形は、大きく二つに分けられる。一つは外面に何も施されていないもの、もう一つは、胴部外面上部、もしくは口唇部外端に貼り付けがなされているものである。前者を鉢形I類、後者を鉢形II類とする。鉢形I類(第4図1〜6)は口縁部形態が1内傾、2直口、3外傾の3つに分類され、胴部の張り具合はa内弯し最大径を胴中央部にとるもの、b内弯し最大径を胴上部にとるもの、c口縁からまっすぐおりるもの、d外側に広がり気味であるが鍋形ほど極端ではないものの4つに分類された。鉢形II類(第4図 7〜18)は、基本的に鉢形I類とほぼ同じ分類項目を設定し、貼付け部の分類基準は安里氏の分類(註8)に準じることとした。
 鍋形(第5図1〜3)は、上に大きく広がる器形でa屈曲だけさせるものbの口縁端部を上方へ造りだし内反りの「く」の字口縁とするものの2類が確認されている。
 碗形(第5図4〜14)は、口縁部および胴部形態をみると、a口縁が内傾し胴中央部で最大径をとるもの、b胴部はゆるやかなカーブをえがき、上広がりとなるもの、c直線的にひらき上広がりとなるもの、d端反、eb・cよりも大きく広がるもの、f 口縁端部が玉縁状に肥厚するものの6類に分けられる。
 ミニチュア土器(第5図15〜17)は、かなり特殊性を帯びた器形となっており、法量が近似するという点以外は、土器どうしで形態的共通点を持たない。
 「皿形」「瓶形」「杯形」「香炉形」は出土量1、2点という僅少さのため、現時点では細分化できない。そのため資料の提示にとどめる(第5図18〜21)。

第3図 壷形土器・甕形土器分類図

第4図 鉢形土器(I類・II類)分類図

第5図 鍋形土器・碗形土器・ミニチュア土器・その他分類図

四、検討―器種分類と器種構成の妥当性―
 (1)模倣の確認
 グスク(系)土器が前代の貝塚時代後期土器と異なる形態であることに関し、移入品の影響が考えられている。そこで、器種分類および細分(形態分類)によって得られた器形に移入品の影響は見られるのかを検討したい。
 カムヤキ窯跡発掘調査(註9)で、壷形の須恵器は大型のもの A、Bと普通の大きさのものC、Dに分けられている。須恵器の壷形C、Dにグスク(系)土器の壷形1類、特に 1/a 類が口縁部の形状や肩部の張り具合、および法量が近似する点や、グスク(系)土器の有文胴部片の検出があげられる。この胴部片は鋸歯文であり、須恵器壷 Dの波状文と異なるが、これは回転台利用の須恵器壷と異なり、てづくねを基本とするグスク(系)土器で模倣したことを表していると思われる。
 鍋形b類が鉄鍋や中世鍋形土器の移入品の影響が考えられ、碗形 f 類に輸入陶磁器の白磁玉縁碗の影響が考えられる。
 鉢形II類は、貼付け部の意識した造りや形状から、ア類は森田氏の分類(註10)によるところの滑石製石鍋の A群を模倣したものと考えられる。
 これらの結果は、従来指摘されてきたグスク(系)土器にみられる移入品の模倣を、器種分類および細分した結果との対比によって確認できたと思われる。

 (2)器種構成の意味
 グスク時代の前段階の時代、つまり貝塚時代後期は甕形と鉢形、他に少量の壷形という器形の構成であった。これに対してグスク(系)土器は、器種構成や土器面に残存する籾圧痕、炭化米・麦出土から食生活の充実をもたらす農耕社会が想定され、豊かなものへと変化したことが考えられる。そこで、前述したグスク(系)土器の分類に基づいて、各遺跡の器種構成を把握し、それらの相対的な流れを追うことが可能であるか、またそれがどのような意味を持つのかを検討したい。その際、グスク(系)土器の中で、滑石製石鍋の模倣が認められる鉢形II類の貼付け部ア類から、縦耳が崩れていった後続のイ・ウ類を最も時間的変遷が追えるものと判断し、これら貼付け部と器種分類および細分した結果の組み合わせで相対的な流れの把握を試みたい。(表1)
 鉢形II―ア類出土遺跡では甕形1類、壷形1類が確認され、鉢形―イ類出土遺跡では甕形 1・2類および壷形2類が多く確認される。碗形はこの時期以降に確認され、使用時期が限定されているようである。鉢形II―ウ類出土遺跡では壷形3類が多く確認される。甕形では3類が多く確認されるが、甕形が出土していない遺跡もある。また、鍋形もみられる。このように、鉢形II類で貼付け部ア類→イ類→ウ類へと変化していくのに対応して、出土状況から器種構成比の変容を読み取ることができ、またそれぞれの器種内にも形態変化がみられることが指摘できよう。次に糸数城跡の層序関係における器種の相対的な流れの確認を試みたい。
 糸数城跡では、甕形 1/b とした本土の中世土師器の破片が出土し甕形 3/b は第3層以降の出土がめだつ。鉢形の出土は第3層では第4層の2倍となり、第2層では5倍強となる。このような甕形と鉢形の出土傾向は、甕形から鉢形I類への移行、もしくは鉢形II類から鉢形I類への移行を端的に表していると思われる。鍋形は第2層出土である(註11)。壷形は3類の出土がみられず、1・2類が出土していた。碗形は、碗形aが 第5層から第2層まで一定量確認されるのに対し、白磁口禿げ皿の模倣(註12)が考えられている碗形c類(中でも薄手のつくりのもの)や、白磁玉縁碗の模倣が考えられる碗形 f 類などは第 3・4層のみでの出土である。輸入陶磁器が第3・4・5層で合計90点だが、第2層は1500点以上出土している(註13)ことから、希少価値の高い輸入陶磁器への関心の高さから模倣土器を製作していたものが、輸入陶磁器の受容が高まるにつれ模倣しなくなったことを表していると考えられる。
 鉢形II―ア類は熱田貝塚ハ地区第3層の結果から11世紀末からはじまるものと思われ、鉢形II─イ類は伊良波東遺跡などから12世紀後半から13世紀から、鉢形II─ウ類は糸数城跡などから13世紀中ごろから使用されたものと考えられる。これら鉢形II類の変容を基軸として、他器種の形態変化も確認できるようである。 
 グスク(系)土器の終末期としては、土器の出土数が僅少の越来グスクの14世紀から15世紀後半、羽地間切番所跡遺跡の14世紀後半から15世紀前半などから、少なくとも14世紀後半から15世紀以降を考えたい。

表1 グスク(系)土器出土数一覧

遺跡名
器形

鉢形(I類)
合計

鍋形
合計

碗形
合計

鉢形II類
貼付け部形状
合計
分類1             小破片 小破片 小破片
分類2                
分類3                
羽路間切番所跡             9 9                     0 0       0
吹出原遺跡             0 0                     0 0     1 1
喜屋武グスク 2 4     3   45 54           2         0 2 2 1 6(2) 9
越来グスク             3 3                     0 0   1 1 2
砂辺サーク原遺跡             18 18                     0 0     8 8
牧港貝塚             8 8                     0 0       0
真久原遺跡             7 7                     0 0     2 2
拝山遺跡 2 1         43 46             1       3 4     1 1
ヒヤジョー毛遺跡 3 1 2       6 12                     0 0 3(1) 1(1) 6(1) 10
我謝遺跡(H地点) 9 1 1 3 2   1 17         3   1 2     0 6     4(2) 4
我謝遺跡 1 4       1 1 7 1   1 2 2 2   1 1 2 0 8   3   3
稲福遺跡(上御願地区) 1           14 15         1         17 1 19   1 5 6
佐敷グスク 2           0 2                     0 0       0
伊良波東遺跡   1   1   1 26 29                     0 0 4(1) 5   9
高嶺古島遺跡 4           13 17                     2 2       8 8
糸数城跡 8 5         4 17   2   2 4 4 2 2 1 2 0 15     13 13
阿波根古島遺跡             10 10                     0 0     9 9
伊原遺跡             16 16                     0 0 1 2 11 14
佐慶グスク         7 3 11 21                     0 0   3(1) 9(2) 12
下地原洞穴遺跡             0 0                     0 0       0

合計 

32 17 3 4 12 5 235 308 1 2 1 4 10 8 4 5 2 21 6 56 9(2) 17(2) 84(7) 111

()内の数字は器形がわかるものの数

遺跡名
器形 壷形 合計 甕形 合計
分類1 1 1 1 1 2 2 2 2 3 3 3 小破片 1 1 2 2 2 3 3 3 小破片
分類2
分類3                                      
羽路間切番所跡     1                 1 2                   0
吹出原遺跡                       1 1                   0
喜屋武グスク     1     1     1     3 6   2   3 1 1 8   7 22
越来グスク       1           1   0 2                   0
砂辺サーク原遺跡                       0 0       1         4 5
牧港貝塚             1         0 1             1     1
真久原遺跡         2       1     2 5             1   3 4
拝山遺跡 4 2   2   4 1       1 11 25           9 4 1 1 15
ヒヤジョー毛遺跡 1       1   1         2 5 2     2     5   6 15
我謝遺跡(H地点) 1 1 1     2 1   1 1   5 13                   0
我謝遺跡 1         4 3   1 1   1 11 2     4     1   2 9
稲福遺跡(上御願地区) 7 1 4   1 2 3 3       9 30       1     10 3 2 16
佐敷グスク 1       2 1           3 7             1     1
伊良波東遺跡   1 1 1         1     3 7 3     2   2 1 1 10 19
高嶺古島遺跡                 1 1   3 5                  7 7
糸数城跡 7 3 2     2 1 1       0 16 3 1 1 3   1 9 1 2 21
阿波根古島遺跡                 1     3 4             1     1
伊原遺跡 1   1 1               2 5 1     1           2
佐慶グスク                       3 3 3 1   1 1       4 10
下地原洞穴遺跡             1         0 1             1     1
合計 23 8 11 5 5 16 12 4 7 4 1 52 148 14 4 1 18 2 13 43 6 48 149

五、おわりに―問題点と今後の課題―
 このように、本稿では復元資料の法量から大きく二つ(普通の大きさのもの、小型のもの)に分けられ、土器形態・器面調整などから器種分類を行い、さらに細分化を試みた結果、貝塚時代後期土器とグスク(系)土器が、大きく形態を異にする理由として移入品の影響が考えられることが確認された。また、各遺跡のグスク(系)土器の構成をみて、土器の変容を相対的に捉えることができたと思われる。
 本論の問題点として、鉢形II類の貼付け部の形態に焦点をあて、その形態変化を根拠に編年をおこなったのであるが、ア〜ウ類のみを考え、横耳(エ類)や体部に鍔が巡る(オ類)を捉えきることができなかったことがあげられる。また、底部に関して本論で触れることができなかった。
 今後の課題として、グスク(系)土器以前の土器(貝塚時代後期)との関連について、従来から指摘されている底部のくびれ以外の諸属性での確認と、グスク(系)土器と陶質土器・陶器との関わりについて考慮しなければならないことがあげられる。また、グスク時代全体の復元をおこなうには輸入陶磁器や類須恵器などが各遺跡に占める割合などの算出が必要性である。そのためには遺構から明確にセットとして確認できる資料の増加を期待したい。

謝辞
 本稿は、1997年度に琉球大学に提出した卒業論文に加筆・修正したものである。本論の執筆に際して、下記の方々には資料収集時などにおいてご教示・ご指導いただいた。(敬称略・50音順)記して、感謝申し上げる次第である。
 安里進、上地克哉、呉屋義勝、高梨修、中池佐和子


 (文中の報告書の出典ついては、文末の引用報告書一覧を参照)
(1)当該期の代表的な論文として多和田(1956)があげられる。
  多和田真淳 1956「琉球列島の貝塚分布と編年の概念」『文化財要覧』 琉球政府文化財保護委員会  本文へ↑

(2)当該期の代表的な論文としてフェンサ上層式を設定した友寄・嵩元(1969)、グスク時代開始期について安里(1975)・金武(1978)などがあげられる。
友寄英一郎・嵩元政秀 1969「フェンサ城貝塚調査概報」『琉球大学文理学部紀要社会篇』第13号 琉球大学文理学部
安里進 1975「グシク時代開始期の若干の問題について―久米島ヤジャーガマ遺跡の調査から―」『沖縄県立博物館紀要』第1号 沖縄県立博物館
金武正紀 1978「恩納村熱田貝塚発掘調査ニュース」沖縄県教育委員会  本文へ↑

(3)当該期の代表的な論文として、安里(1991)などがあげられる。
安里進 1991「沖縄の広底土器・亀焼系土器の編年について」『交流の考古学』三島会長古希記念号 肥後考古学会  本文へ↑

(4)金城亀信 1990「グスク土器の出現」『考古学ジャーナル』320 ニュー・サイエンス社  本文へ↑

(5)安里氏が器種分類概念の統一の必要性を指摘されている。
  安里進 1995「各地の土器様相―沖縄」『概説中世の土器・陶磁器』中世土器研究会 真陽社  本文へ↑

(6)法量分布により、器種ごとにまとまりが見られることは、すでに安里氏によって指摘されている。(註5と同じ)  本文へ↑

(7)壷形および甕形の口頸部屈曲度を比較すると分布中心域が異なる(壷形:90°〜130°、甕形:105°〜150°)。また、口頸部屈曲度は壷形、甕形の形態分類と関連していることが確認された。  本文へ↑

(8)「方形把手」「瘤状把手」「瘤状突起」をそれぞれ貼付け部ア〜ウ類とした(註3と同文献)。  本文へ↑

(9)伊仙町教育委員会 1985「カムヤキ古窯跡群I」伊仙町埋蔵文化財発掘調査報告書(3)
伊仙町教育委員会 1985「カムヤキ古窯跡群II」伊仙町埋蔵文化財発掘調査報告書(5)  本文へ↑

(10)森田勉 1983「滑石製容器―特に石鍋を中心として―」『佛教藝術』148 佛教藝術学会  本文へ↑

(11)第2層からは鉄鍋も出土している。(玉城村教育委員会 1991)  本文へ↑

(12)金城亀信氏により、糸数城跡出土白磁口禿皿と他遺跡出土資料との比較により、グスク(系)土器に白磁口禿皿の模倣がみられることを指摘されている。(玉城村教育委員会 1991)  本文へ↑

(13)第2層は青磁雷文帯碗、無鎬蓮弁文碗などが確認され、14世紀中頃〜15世紀中頃とされ、第 3・4・5層は青磁の櫛描文碗・皿と鎬蓮弁文碗、白磁口禿げ皿・碗から13世紀中頃〜14世紀前半と位置付けられている。(玉城村教育委員会 1991)  本文へ↑

引用報告書一覧


(琉球大学大学院人文社会科学研究科院生)