〈研究論文・報告〉

南島におけるヤコウガイ利用に関する一考察
 −奄美大島名瀬市小湊フワガネク(外金久)遺跡出土資料の検討−

古島久子

はじめに
 ヤコウガイは、奄美大島以南の熱帯、亜熱帯海域に生息する多肉質の貝である(第1図)。殻は螺鈿細工の原料の一つとして、古来より珍重されてきたことが知られているが、奄美大島笠利町のマツノト遺跡 (註1)及び用見崎遺跡 (註2)で大量出土したことから、古代史、考古学両分野の関心が大いに高まっている(第2図)。これらの遺跡から出土した兼久式土器は弥生時代後期の土器とされてきたが、高梨修氏の再検討により、6〜10世紀という新しい年代観が示され(註3)、ヤコウガイが「螺鈿の原料であり、輸出・交易品」として日本本土に持ち込まれていた可能性を示すものとして注目を集めることになったのである(註4)
 南島において、ヤコウガイを利用した製品は多くみられるが、主に研究が行われているのは貝匙(ヤコウガイ製ヒシャク状容器)である。貝匙は1920年に松村瞭氏により初めて報告・分類が行われている(註5)。完形品が僅少であるため、ある程度まとまった数が得られたナガラ原西貝塚(註6)、久里原貝塚(註7)、清水貝塚(註8)でも柄部形態に基づく分類が主で、犬田布貝塚のように加工状況に注目したものもあるが(註9)、ほとんどの場合身部のみの破片や装飾を持たない柄部は分析されないままである。木下尚子氏は南島全体の貝製容器を集成する中で「ヒシャク状容器」の設定を行い、加工状況から貝匙を精製品と粗製品に分類し、文献記録に照らして前者を祭器、後者を日常の容器とした(註10)。また、上原靜氏はグスク時代出土の匙を柄部形態に基づいて分類し、それが魚の尾鰭に似ることから、儀礼に際し用いられたとしている(註11)。両氏は文献などから用途や機能を推測しており、資料の分析・検討は十分に行われているとは言い難い。ヤコウガイが交易品とされていたとの古代史の分野からの指摘も、ヤコウガイ大量出土遺跡と文献記録からの推論であり、考古学的な検証は未だなされていない。
 ヤコウガイ貝殻については、木下氏が主導された用見崎遺跡の調査報告書において破損の状況から製品との対比が試みられ、初めて製品の素材としての視点が向けられている(註12)。しかし、ヤコウガイ貝殻はこれまで食料残滓として扱われてきたため、製品との関係を掴むには未だ資料が不足している状況である。
 これらの問題点を踏まえると、ヤコウガイ製品と貝殻についての本格的な分析は必要不可欠であると考えられる。そこで本論では、製品とヤコウガイの相互の関係を奄美大島名瀬市小湊フワガネク(外金久)遺跡の出土資料を対象に検討することによって、南島のヤコウガイ利用について考察を加えていくこととする。

第1図 ヤコウガイ各部名称

第2図 ヤコウガイ製品・ヤコウガイ大量出土遺跡

第3図 小湊フワガネク(外金久)遺跡出土ヤコウガイ貝殻分類図 

一、小湊フワガネク(外金久)遺跡出土資料の分類
 小湊フワガネク(外金久)遺跡からは、大量のヤコウガイ貝殻とヤコウガイ製品が出土し、一連の製作プロセスを示す貝殻破片が集中出土している製作址が確認されている。当該遺跡からは兼久式土器が得られており、6〜7世紀の年代観が考えられている(註13)。今回観察した資料は、1997年に行われた第一次・第二次調査の出土資料の貝匙77点、有孔製品44点、貝殻1700点である。
 ヤコウガイ貝殻は軸唇の有無により分類し、I類を軸唇を残すもの、II類を残さないものとし、それぞれ1〜11類に細分した(表1)。
 製品には貝匙、有孔製品があり、これらの使用部位は、貝匙は体層の 1/2〜2/3 の長さで、幅はa、b、cの3つに分類できる(第4図)。有孔製品は体層の 1/3 以下の長さでa、b、c、dの3つに分類できる(第5図)。貝匙が全て成貝を用い、殻口かその付近の体層を使用するのに対し、有孔製品では幼貝や奥側の体層を用いるものも見られる。
 貝匙は、加工状況に注目すると、A.縁辺が研磨によって丸く仕上げられ、外面は螺肋を消し切り、真珠層に及ぶまで研磨するもの、B.縁辺は研磨によって丸く仕上げられるものの、外面は荒い研磨を施すのみで、螺肋も頂部を研磨したのみのもの、C.縁辺に敲打痕が残り、外面は螺肋を打ち欠くのみか何の加工も施されないもの、という分類が考えられる。
 ヤコウガイ貝殻については、8個体分の接合資料から、1体層をばらばらにするためのもの、2貝匙の素材を取るためのものという割り取りが確認できた。1の破片に対応する製品は南島には見られない。また、一部の穿孔部分を除いて断面が非常にシャープであり、直接の打欠によらず割り取られていたと思われる。また、穿孔の位置に違いが見られ、必要とする破片に応じた割り取り技術が存在したことを示している。

第4図 有孔製品使用部位

第5図 貝匙使用部位

●表1 小湊フワガネク(外金久)遺跡出土ヤコウガイ貝殻分類表
I類 総数 成貝 幼貝 螺塔打欠 肩螺肋欠 縫帯肋欠 %1 %2
347 141 206 8(0) 40.9 21.6
43 40 3 43(3) 18(0) 2(-) 6(0) 5.0 2.7
39 39 0 0 39(0) 1(-) 9(0) 4.6 2.4
86 65 21 18(2) 23(0) 5(-) 3(0) 10.1 5.4
32 23 9 15(1) 9(0) 4(-) 1(0) 3.8 2.0
27 24 3 4(0) 6(0) 4(-) 1(0) 3.2 1.7
34 28 6 9(1) 2(0) 3(-) 0 4.0 2.1
49 42 7 16(1) 2(0) 2(-) 0 5.8 3.1
44 39 5 11(3) 7(-) 0 5.2 2.7
10 26 18 8 6(0) 4(0) 5(-) 0 3.1 1.6
11a 54 54 0 8(-) 0 6.3 3.4
11b 68 68 0 11(-) 0 8.0 4.2
849 581 268 122(11) 103(0) 52(-) 28(0) 100 52.9

II類 総数 成貝 幼貝 螺塔 打欠 研磨 %1 %2
35

4.6 2.2
66 64 2 65(2) 1(0) 0 8.7 4.1
116 112 4 12(3) 44(0) 1(0) 15.3 7.2
125 113 12 14(4) 32(0) 2(0) 16.5 7.8
79 64 15 12(6) 13(0) 1(0) 10.6 4.9
59 59 0 2(0) 6(0) 8.5 4.0
49 38 11 1(0) 0 6.5 3.1
28 25 3 0 0 3.7 1.7
6 6 0 0.8 0.4
10 17 17 0 2.3 1.0
11 171 4(0) 8(0) 22.6 10.7
756 498 47 03(15) 97(1) 18(0) 100 47.1

           
 %1:II類に占める割合 2:I・II類全体に占める割合

二、ヤコウガイ貝殻について
 接合資料で確認された2つの割り取りと製品の使用部位からヤコウガイ貝殻II類3〜7の破片を見ていくと、1体層をばらばらにするもの、2製品に関係するもの、3確認されていない割り取りによるもの、4身を取るためのものがあることがわかる。これらの割合は、1 23.5%、2 62.4%(有孔製品18.5%、貝匙43.9%)、3 4.3%、4 9.8%となっている。また、ヤコウガイ貝殻I類については、欠損の範囲や接合資料で得られた割り取り方法との共通点から、86.8%が何らかの形で殻を利用したと考えられる。
 南島のヤコウガイは螺鈿の材料であることが指摘されているが、日本での螺鈿生産は8世紀頃には開始されていたとの見方もあり(註14)、これらの破片が日本国内に持ち込まれたことも考えられることになる。螺鈿に使用されるヤコウガイの長さは5〜6僂普通であるが(註15)、1の破片の長さを見てみると、38点中3〜6僂里發里15点と最も多い(表2)。また、『宇津保物語』楼上(上)に、ヤコウガイをつき混ぜて壁に塗ってあるのできらきらとする、という描写が見られ、小さな破片でも利用されていたことが窺える(註16)。これは、ヤコウガイが単に螺鈿の材料としてだけでなく高い価値を持つものであったことを示している。
 以上のことから、ヤコウガイが日本本土に交易品として持ち込まれていた可能性は充分にあると言える。

三、ヤコウガイ製貝匙(ヒシャク状容器)について
 貝匙の加工状況に注目してみると、先に行った 分類のC 〜 Aの順に加工の段階が進んでいることから、貝匙の加工は1.敲打による整形・螺肋への打ち欠き、2.縁辺への研磨、3.外面の螺肋への研磨、4.外面全体への研磨の順になされることがわかる。また、身部に比べて柄部の加工が進んでいないため、加工は身下部から柄部に向かって行われていると考えられる。破損の箇所は柄付根部、身上半部、身下半部からの3パターンに分けられ、貝匙が割れる場合には何らかの共通点があるようである。
 貝匙の破損には、整形や研磨の際に破損するものと、完成後に故意あるいは誤って割ってしまう場合が考えられるが、割れ方がパターン化でき、破損した部分に新たな柄部を作り出すものが見られることから、後者は考えにくい。最も細い柄部とその付近からの破損が半数以上を占めることも、研磨などの際に起こったことを示すと考えられる。以上のことから、貝匙は製作途中に破損したと考えられ、製品はAの段階のもののみであることになる。従って、「精製品」「粗製品」という区別は存在せず、精製品は製品に、粗製品は製作途中の未製品や失敗品に当たると考えることができる。
 貝匙はヤコウガイ貝殻の出土地点と重なって遺跡全体に分散して出土しており、集積されている状況は見られない。また、完形の製品は一点のみで、大半は未製品あるいは失敗品であり、製作址でありながら、製品の出土が非常に少ないということが言える。貝匙の製品がストックされる状況が見られないことは、遺跡内では消費されず、外部へ持ち出されていたことを示すと考えられる。

 
a b c d e f a b c d e f a b c d e f a b c d e f a b c d e f
0〜3                         1                       3           4
3〜6 4         1 10 4   4 1           1 1       2     1     2     32
6〜9 4         3 2 8   8     1 5   3   1 1     7           5     50
9〜12         4   3 7   9 1 5   5   4   4       1   1   1   2     47
12〜15             2   1 3   3   1 1 1                             15
15〜18             3           1   2 3   1                         10
18〜21             1           1   2                               4
8       4 4 21 19 1 24 2 8 4 11 5 13 1 7 1     10   1 4 1   9 2 3 162
●表2 ヤコウガイ破片の長さ(僉
 *a:体層をばらばらにするもの,b:有孔製品の素材,c:貝匙の素材,d:貝匙の失敗品,e:貝匙の素材から割り取られたもの,f:不明

四、結論
 本稿では、小湊フワガネク(外金久)遺跡のヤコウガイ貝殻と製品について、相互の関係と割り取りのパターンから、ヤコウガイの利用について検討してきた。ヤコウガイ貝殻II類に見られた1〜2の破片の消費地を考えると、1は螺鈿その他の材料として日本本土へ持ち出された可能性が高く、2のうち貝匙についても遺跡内では消費されていないと思われる。
 有孔製品は貝錘の可能性もあるが、他種の有孔貝も相当数得られていることから、漁撈具とは考えにくい。穿孔に紐を通して持ち運ぶためのものと考えれば、推測の域を出ないものの、有孔製品も外部へ持ち出された可能性を持つことになる。3は対応する製品がなく、現時点では判然としない。4は破片利用のための割り取りではないことから、遺跡外に持ち出されるものではないと言える。従って、1と2を合わせた85.8%の破片は外部へ持ち出されることを前提とした破片ということになる。ヤコウガイ貝殻I類でも86.8%が何らかの形で殻を利用したと考えられ、I類、II類を総合して見ても80%以上のヤコウガイが外部への供給に関わるものということになる。
 ヤコウガイは、先にも述べた通り主に螺鈿の材料として日本本土で高い価値を認められていたと思われる。当該遺跡の調査者である高梨修氏は、螺鈿が奈良時代以降盛行し、日宋貿易では輸出の重要品目に挙げられていることから、大量のヤコウガイ貝殻が日本本土で消費されたことを想定した。そして、このような螺鈿材料を中心とする本土側のヤコウガイ需要に対する南島側の材料供給の痕跡が、ヤコウガイ大量出土遺跡であると考えている(註17)
 小湊フワガネク(外金久)遺跡は膨大な数のヤコウガイ貝殻をストックし、大量の製品の製作を行い、そのほとんどを外部へ供給している。このことから、ヤコウガイの集積、製品の生産、それらに関わる交易の中心的な役割を果たしていたと考えられる。

本稿は、琉球大学に提出した卒業論文がもとになっている。本論の執筆にあたっては、小湊フワガネク(外金久)遺跡発掘調査や資料収集の際に様々な面で御協力、御指導を賜った高梨修氏をはじめ名瀬市教育委員会社会教育課学芸係の皆様と笠利町立歴史民俗資料館の中山清美氏、伊仙町立歴史民俗資料館の義憲和氏に深く感謝申し上げる次第である。


(1)中山清美 1995「マツノト遺跡の発掘調査」『シンポジウムよみがえる古代の奄美』資料集  本文へ↑

(2)中山清美 1995 『用見崎遺跡』笠利町文化財報告第20集  本文へ↑

(3)高梨修 1998「名瀬市小湊・フワガネク(外金久)遺跡跡の発掘調査」鹿児島考古学会研究発表資料。 
また1999年3月に第2回奄美博物館シンポジウムが開催され、同遺跡に関する報告・討論が行われた(名瀬市立奄美博物館 1999 『小湊・フワガネク(外金久)遺跡シンポジウム資料集』名瀬市教育委員会)  本文へ↑

(4)鈴木靖民 1995「ヤコウガイが照らす古代史」『読売新聞』4月7日  本文へ↑

(5)松村瞭 1920 『琉球荻堂貝塚』『東京帝国大学理学部人類学教室研究報告』第三編  本文へ↑

(6)伊江村教育委員会 1979 『伊江島ナガラ原西貝塚緊急発掘調報告書』  本文へ↑

(7)伊平屋村教育委員会 1981 『久里原貝塚』伊平屋村文化財調査報告書第1集  本文へ↑

(8)具志川村教育委員会 1989 『清水貝塚発掘調査報告書』具志川村文化財調査報告書第1集  本文へ↑

(9)伊仙町教育委員会1983 『犬田布貝塚』伊仙町埋蔵文化財発掘調査報告書(2)  本文へ↑

(10)木下尚子 1996「貝製容器小考」『南島貝文化の研究−貝の道の考古学』法政大学出版  本文へ↑

(11)上原靜 1986「グスク時代遺跡出土の匙」『沖縄県教育委員会文化課紀要』第5号  本文へ↑

(12)熊本大学考古学研究室 1995 『用見崎遺跡』研究室活動報告31   
  熊本大学考古学研究室 1997 『用見崎遺跡IV』研究室活動報告33  本文へ↑

(13)註(3)と同じ  本文へ↑

(14)和田浩爾・赤松蔚・奥谷喬司 1996 「正倉院宝物(螺鈿、貝殻)材質調査報告」 『正倉院年報』第18号  本文へ↑

(15)中里尋克 1995「古代螺鈿の研究」(上)  『國華』第1199号  
   中里尋克 1996「古代螺鈿の研究」(下)  『國華』第1203号  本文へ↑

(16)註(3)と同じ  本文へ↑ 

(17)註(3)と同じ(熊本市教育委員会文化財課嘱託)   本文へ↑