〈研究論文・報告〉

 南海産貝輪製作工程の復元 
−南島出土のゴホウラからみた貝輪交易―

神田涼

はじめに
 弥生時代、北部九州を中心に広く流布するゴホウラ貝輪であるが、その採取・粗加工が行われた供給地は南島であると考えられている(註1)。実際に南島においては、集積遺構が検出されること(註2)、製品以上に未製品が数多く出土していることなどから、上記の考えを裏付ける結果となっている。
 しかしながら、未製品から製品となっていく過程がどのようなものであったのか(註3)、南島における貝輪交易がどのようにおこなわれていたのか、不明な点も多い。今回、南島におけるゴホウラ貝輪の未製品や製品を整理・検討したうえで、これらの問題点について考察していきたいと思う。なお、筆者の管見によれば、現時点で沖縄本島及び周辺の50遺跡においてゴホウラ貝輪の未製品や製品が出土している(第1図(註4)

第1図 ゴホウラ貝輪製品および未製品出土遺跡

第2図 ゴホウラ各部名称

一、分析(未製品の分類)
 貝輪加工工程を復元する前に、区別が曖昧である「製品」と「未製品」の定義を明確にしておきたい。これまで南島は貝輪交易において粗加工品の製作という位置付けがなされているが(註5)、沖縄出土の未製品の中には、粗加工品にとどまらない研磨の施された、限りなく完成品に近いと思われる資料も年々増加している。そこで本稿においては、全面に研磨が施されたものを「製品」、打割のみまたは一部に研磨が施されたものを「未製品」として取り扱いたいと思う。
 貝輪は、外唇部側を利用する背面貝輪、殻軸部側を利用する腹面貝輪に分けられており(註6)、さらに腹面貝輪は形態より金隈型・土井ヶ浜型・諸岡型・立岩型に分類されている(註7)。したがって沖縄で出土する未製品も、これらの貝輪のいずれかの製作を意図したものであると考えられる。
 また、未製品は製作途上という性格を持つにも拘らず、同様な形態の未製品が同一遺跡内で数多く出土したり、複数の遺跡にまたがってみられたりすることが多々ある。このことは、貝輪の製作が段階的に行われていたこと、共通する製作工程のパターンが存在したことを示すものと考えられる。

●分類1(表1、第3図第4図1〜3)
 そこで体層・外唇の除去、穿孔の部位、穿孔の大きさの3点に着目して分類を行ってみた。
理由として貝輪を製作するためには、体層・外唇の除去、背腹両面への穿孔(体層の除去が先行する場合は片面のこともある)、が必要不可欠と考えたためである。
 まず考えられる体層・外唇の除去方法として、腹面側を除去I、背面側を除去II、外唇を除去III、上唇のみを除去IV、の4通りである。
 次に穿孔についてであるが、背面に穿孔がなされたものをA、腹面に穿孔がなされたものをBとし、さらに前溝部への粗孔をCとする。また側面の肩角突起部に孔があるものをDとする。
 一口に穿孔といってもその大きさや加工状況は様々である。孔の大きさが1僉腺沖冂度の円形のものを1とする。貝の斜め方向から敲打し、徐々に貝厚を薄くしていくという丁寧な加工がなされたものが多い。1にくらべ孔が大きく加工も粗いものを2、さらに孔が大きくなり、体層の除去を目的としたと考えられるものを3とする(註8)
 以上、これらの分類概念を単独、もしくは組み合わせて用いることによって未製品の把握が可能となる。

第3図 未製品実測図(1)[分類1]

第4図 未製品実測図(2)[分類1:1〜3,分類2:4〜7]

表1 分類1の設定
  背面貝輪 腹面貝輪 両用 その他
体層・外唇部の除去 腹面除去 I
(第3図−1)
背面除去 II
(第3図−2・3)
外唇除去 III
(第3図−4)
上唇除去 IV
(第3図−5)
 
穿孔の部位と大きさ 背面・小 A−1
(第3図−6)
背面・大 A−3
(第3図−8)
背面・中 A−2
(第3図−7)
 
腹面・大 B−3 腹面・小 B−1
(IV−B−1)
(第4図−1)
腹面・中 B−2  
    前溝部 C
(第4図−2)
肩角突起部 D(第4図−3)

●分類2(表2、第4図4〜7)
 しかし未製品の中でも加工が進み、完成品とほとんど同じ輪状の形態のものは、腹面貝輪か背面貝輪のどちらを目指したか明らかであり、また分類1で捉えるえることも難しい。よって、(背面)と(腹面)の二つに分類し、分類1とは別に設定する。
 さらにこの形態のもので、一部に研磨を施すものを(研磨)、研磨のないものを(粗加工)、として細分を行うことが可能である。

表2 分類2の設定
  背面貝輪 腹面貝輪
利用部位・研磨の有無 背面・粗加工
 背−粗(第4図−4)
腹面・粗加工
 腹−粗(第4図−6)
背面・一部研磨
 背−磨(第4図−5)
腹面・一部研磨
 腹−磨(第4図−7)

二、製作工程の復元
 先述の分類をもとにして工程を段階的に復元することが可能になる。従来、貝輪製作工程は、打割穿孔と研磨の二段階で捉える考え方が一般的であった(註9)。しかし今回資料を分析してきた結果、さらに進んで準備段階、成形段階、整形段階、研磨段階の四段階で貝輪製作を捉えることが出来ると考えた(第56図)。
 準備段階は貝輪製作のための加工が行われる前の段階であり、未加工具や貝輪製作とは直接関係ない加工が施された貝を指す。分類1のIVとCの加工が該当する。
 続く成形段階と整形段階は従来いわゆる打割穿孔の段階であるが、貝輪としての大まかな形を作るための加工段階を成形段階、貝輪としての形を作り終えた後に、細かい打割調整が施される段階を整形段階として区別した。成形段階はIVとCを除く分類1で把握しうる範囲がこれにあてはまる。また除去と穿孔の順序について検討した結果、背面貝輪において2通り、腹面貝輪において3通りの工程を想定できた。整形段階は、研磨が施されておらず輪状の形態をなす、分類2の(粗加工)のものがこの段階にあてはまる。
 研磨段階は、文字通り研磨が一部に施された未製品を指し、貝輪製作工程の最終段階に位置付けられる。分類2の(研磨)の概念で把握される未製品を、この段階として捉えることができる。研磨段階の腹面貝輪は6遺跡8点の出土があり、全面に研磨が施された製品も20点以上確認されている。これらが九州への移出品であったという性格を考え併せれば、このような未製品はかなりの数存在したことが予想される。
 結果として南島における貝輪製作は、粗加工のみにとどまらず、完成品にかなり近い段階、もしくは完成品そのものの製作まで行っていたと言えるのではないだろうか。これまでの、南島人が粗加工品の製作を行い、九州人が貝輪の仕上げ製作を行っていたという考えには、再考の余地があることを提起しておきたい。

第5図 背面貝輪製作工程復元図

第6図 腹面貝輪製作工程復元図

三、実験による検証
 実際にゴホウラを用いて行った製作実験について述べていきたい。鉄製の鑿とハンマーを利用し、成形段階で想定した5通りの工程が復元可能なことを確認した。また、加工の意図の不明な未製品についても検討していった。まずDの形態についてであるが、これは体層の除去を効率的に行おうとした際の失敗品と考えられる。そこで製作実験を行ってみたが、Dの形態にはならかった。この加工が意図的なものであるとすれば土井ヶ浜型が適合するが、Dの次段階を予想させる未製品遺品の出土がないことや、土井ヶ浜型は原貝のまま南島から移出され、消費地で加工が行なわれていたとする従来の見解などを鑑みると(註10)、これを土井ヶ浜型の未製品であると位置付けるのは早計だと思われ、現段階では明らかにすることができなかった。

 次にIVの上唇部の加工については製作実験における経験的な試行錯誤から、貝輪製作時に貝を安定させるための加工という考えに至った。当初この加工についてどのような意味があるのか疑問であったが、接地面の安定性を高めるという考えを裏付けるかのように、上唇を直線的に加工している出土例が多く確認され、その蓋然性の高さを示している。

四、失敗品と粗加工品について
 未製品には「失敗品」と製作途上の「粗加工品」の2種類があると考えられるわけだが、その概念を明確にするための一方法として、穿孔や除去が、腹面と背面の境目にあたる殻頂から一大結節部を通る水管溝端部までのラインを越えているかどうかに着目した。このライン上を大きく越えて穿孔や除去が行なわれている場合を失敗品として取り扱うことにした。ただし、土井ヶ浜型については先述の理由により検証から除外している。沖縄出土の未製品貝輪396点について検討を行った結果、貝輪製作の続行が可能な「粗加工品」が292点、いずれの貝輪にもなりえない「失敗品」が76点、貝輪の型式によっては製作続行が可能である「粗加工品となりうるもの」が28点の3つに分けることができた。他の廃棄理由により粗加工品はさらに減る可能性はあるが、全ての未製品を失敗品と考えられないのは明らかである。
 次に、遺跡における出土状況についても考えてみたい。伊江島ナガラ原西貝塚においては8割以上が失敗品だと思われ、沖縄本島中部東海岸においては製品44点、粗加工品が66点なのに対し、失敗品の出土は1点もない。こうした遺跡による差が生じる背景として、おそらく体系的とまではいかなくとも南島においてゴホウラの採取地、加工地、交易地というふうにある程度の役割分担が行われていたことを示していると考えられる。

まとめ
 先述のように、南島自ら九州の貝輪需要に対応するために、粗加工品製作の分担を行うことを目的として在地の生産交易システムが形成されていったと思われる。ただし、この在地の生産交易システムの出現が、内部における自発的なものなのか、九州などの外部からの圧力によるものなのか貝輪の出土状況から判断することは難しい。また貝輪交易において南島がどの程度の主体性を持っていたのかについても不明な点は多々ある。しかしながら、南島が貝輪粗加工品の需要に合わせて、ある程度自発的な動きを行っていたことは確かなようである。
 現段階では九州における製品との比較や、背面貝輪の再検討、貝塚時代後期の土器編年の確立など多くの課題が山積しているが、今後貝輪研究が今まで以上に重要な位置を占めていくことは間違いないであろう。

謝辞
 本稿は、1996年度に提出した卒業論文の要旨をまとめたものである。資料の実見にあたっては、下記の皆様の便宜を図っていただいた。記して、深く感謝申し上げます。 
大城剛氏(具志川市教育委員会)、金城亀信氏・島袋春美氏(沖縄県文化課)、国場幸典氏(本部町教育委員会)、仲宗根求氏(読谷村教育委員会)、松川章氏(浦添市教育委員会)


(1)ゴホウラ貝輪に関する主な研究として、下記の論考がある。
三島格 「弥生時代における南海産貝使用の腕輪」『日本民族と南方文化』1968年 永井昌文「貝輪」『立岩』1977年
木下尚子 「弥生時代における南海産貝輪の系譜」『日本民族文化とその周辺』1980年
木下尚子 「弥生時代における南海産貝製腕輪の生成と展開」『古文化論集』1982年  本文へ↑

(2)沖縄における貝の集積遺構については以下の論考がある。
岸本義彦・島弘「沖縄における貝の集積遺構」『沖縄県教育委員会文化課紀要』2,1985年
島袋春美「南島からみた貝の交易」『考古学ジャーナル』311, 1989年  本文へ↑

(3)仲宗根求氏は「『ゴホウラ製腕輪』の製作工程に関する資料」『南島考古だより』53,1995年で読谷村の大久保原遺跡と高知口原遺跡の資料から背面・腹面貝輪の製作工程復元を試みている。また註2の島袋氏文献においても、嘉門貝塚出土資料から得られた腹面貝輪の製作工程が写真で提示されている。  本文へ↑

(4)ゴホウラ貝輪未製品及び製品として報告された遺物以外にも、穿孔貝・自然遺物として報告されたゴホウラについても、一部検討を加えた。  本文へ↑

(5)安里嗣淳 『伊江島阿良貝塚発掘調査報告書』沖縄県教育委員会1983年  本文へ↑

(6)河口貞徳 「鍬形石の祖形」『古代学研究』70, 1973年  本文へ↑

(7)三島格・橋口達也 「南海産貝輪に関する考古学的考察と出土地名表」『立岩』1977年  本文へ↑

(8)沖縄県教育委員会 『平敷屋トウバル遺跡』1996年 において、この形態のものを背面貝輪を意図したとするよりも寧ろ、腹面貝輪を目的としたとみられる、と述べている。  本文へ↑

(9)註6文献に同じ  本文へ↑

(10)木下尚子 「南海産貝輪交易考」『生産と流通の考古学』 1989年 図版出典一覧
名護貝塚(第3図−1,第5図−1)沖縄県教育委員会 『名護貝塚』1985ナガラ原西貝塚(第3図−2・4,第4図−3)  本文へ↑

図版出典一覧

  • 名護貝塚(第3図−1,第5図−1)
    沖縄県教育委員会 『名護貝塚』1985ナガラ原西貝塚(第3図−2・4,第4図−3)
    伊江村教育委員会 『伊江村ナガラ原西貝塚緊急発掘調査報告書』1979
  • 具志堅貝塚(第3図−7)
    本部町教育委員会 『具志堅貝塚発掘調査報告』1986
  • 平敷屋トウバル遺跡(第3図−8)
    沖縄県教育委員会 『平敷屋トウバル遺跡』1996
  • 備瀬貝塚(第4図−2)
    本部町教育委員会 『備瀬貝塚』1986
  • 熱田第二貝塚(第4図−4・5,第5図−3〜5)
    沖縄県教育委員会・日本電信電話公社沖縄電信電話管理局 『恩納村熱田第二貝塚発掘調査報告書』1979
  • 具志原貝塚(第4図 6)
    沖縄県教育委員会 『伊江島具志原貝塚の概要』1985
  • 阿良貝塚(第6図−5・6)
    沖縄県教育委員会 『伊江島阿良貝塚発掘調査報告』1983
  • 野国貝塚(第6図−7)
    沖縄県教育委員会 『野国−野国貝塚群B地点発掘調査報告』1984
  • 嘉門貝塚(第3図−3,第6図−3)図版は筆者作図、報告書は以下の通り
    浦添市教育委員会 『嘉門貝塚A』1991, 『嘉門貝塚B』1993
  • 大久保原遺跡(第3図−5・6,第5図−2)筆者作図
  • 二重兼久原貝塚(第4図−1,第6図−2.・4)筆者作図
  • 中川原貝塚(第6図−1)筆者作図
  • 高知口原貝塚(第4図−7)筆者作図
  • ・筆者作図の資料は、未発表資料であり、関係者の御厚意により使用を御許可いただいた。
    したがって、図版の引用については、関係機関にお問い合わせ下さい。
    (琉球大学平成8年度卒業生)